”なぜ 英語ができるのですか?”

 とよく、ありがたいことに、質問をいただく。私の英語力は、中学生の英語プラスαぐらいなのに。

  英語をしゃべりたいけど、どう勉強していいかわからない。 なにから、始めれば、いいのか?

 誰でも、初めてのときは、そう思うのではないだろうか?

 私も自分の昔を振り返り、英語ができなかった私がどうやって、ある程度しゃべれるようになったのか?プロフィールを作成しようかと、思い、素人ながら、作っていきますので、よろしくお願いします。

 みなさんの英語の勉強の参考になったり、カロライナcafeに多くの人が、利用してくれれば、光栄である。

 

 

 

 

幼少期

 父親が大学の時に、彼は、大学の英語クラブに属していたらしく、私は、その血を受け継いでいるのかもしれない。

少し余談ではあるが、モスバーガーの創業者(故人桜田氏)と同じ英語クラブで勉強していたらしい。

 そんな父親の影響の素で、英語塾や、父親から習い、英才教育を受けて育って、ぺらぺらに。そう、サラブレットのように。

 と、いいたいところですが、私の父親が、英語クラブにいたことは、高校生になってから、知ったことである。 なので、英才教育もなにも無く、普通の人となんにも変わらない、幼少期でした。 将棋や野球が好きでした。

一つだけ、思い出しました。英語に関わっていた?と言えば、当時、バンバンボール(卓球のラケットより少し大きい板にボールがゴムでついていて、技を競い合う)が、地域ではやっていました。確か、 コカコーラの主催で、そこに、必ずアメリカ人のプロ? みたいな人が来て、技を披露したり、コンテストをしていました。 私は、父に連れられて、近所のイベントによく参加した記憶があります。

 また、余談ですが、私は1度だけ優勝をしたことがありました。トーレーナーsweatshirt.、鉛筆 pencil キーホルダー keychainなど、景品をいっぱい、もらった気がします。 兄にトレーナーは、盗られたけど。。。 普段は、入選もできず,いつも、びりのほうで、参加賞の鉛筆1本とかでした。

 今、考えると、そのおかげで、外国人と始めて関りを持てたので、外国人をみても、恥ずかしさがないだろうか?その人達が、英語でしゃべったのか、日本語だったのかは、まったく記憶に,ございません。多分日本語でしょうね。

 

 

 

 

小学生

 低学年の時に、バンバンボールブームは、すぐ、終わったのですが、また、コカ・コーラ主催の似たような企画で、今度は、ヨーヨーです。 まったく同じく、外国人が披露する。

 子供たちが、競う。 私は、いつも、びり。 優勝は、バンバンボールの1回だけ。 あとは、全て、だめでした。

 小3からは、野球チームに入り、英語や、外国人などとは、一斉、関りのない生活でした。

 高学年のときは、兄の影響で、洋楽も少し聞くようになった気がしますが、聖子、明菜、など、日本の歌謡曲のほうが、多かった気がします。

 ファミコンのカセットで友達がポパイの英語遊びを持っていて、したことがあるが、好きではなく、ゼビウス、ファミスタなど、にはまっていた気がします。

 はまっている be into~

 I was into the Famikon(the video game) when I was elementary school kid.

 TVゲームではなく、アメリカでは、ビデオゲーム。

 ちなみに今は、ほぼなくなりましたが、日本では、VTR ビデオテープレコーダー は、VCRと言ってました。 うわ~~~、めちゃ、古。

 DVDすら、古くなってきているのに。

 

 

 

中学生

 英語が教科に入ってきて、意外にABCとか、覚えるのが好きだった気がします。 筆記体が上手に書けなくて、ブロック体ばかり、使っていました。 ちょっとしたフレーズや単語も覚えるの好きでした。

 Hello、 How are you?

 Fine thank you。 And you? の時代です。 Boy  Girl

 プリンセス社の教科書?の中で、確かEllen Royと Taro だったかな~~?が登場していました。

 他のプロフィールにも書いてありますが、英語の教科書の表紙が、スクールバスから、アメリカ人の子供たちが、降りる写真だったのですが、黄色いスクールバスといろいろな人種のキッズたちに、何か、かっこよさを感じました。

 A Mujina lives near the slope。という文が、中2の教科書に怪談話が載っていて、この1文だけ なぜか、今でもおぼえています。

 中1か中2の時、ファミリータイズ という アメリカのシッコム。(簡単ドラマ)が、テレビ東京12ch 放映されていました。

 主役の、アレックス役は、なんと、バックトゥザフューチャーで、一躍、有名になる、マイケル J フォックス でした。

 俳優の名前も何も知らずに、なぜか NO REASON で、はまりまくり。

 なんと トムハンクス、リバーフェニックスなども出ていたそうです。

 黒い髪のマロリーが、私のお気に入りでした。 金髪のジェニファーは、あまり、タイプでなかったような。

 このころ、アメリカのドラマだけでなく、私がバスケットボール部だったこともあり、NBA を 見始めました。 深夜の2時か3時ごろのこれもテレビ東京12chでした。 声の低い北原選手が解説していたんですが、ジョークなどが寒かったのを覚えてます。 あとレイカーズ、ピストンズ、セルテイックスなどの試合が多かったかな? ボストンセルテイックスのホームコートがフロアリングみたいな体育館が印象的でした。 シカゴブルズの試合も放映してました。 もちろん、若きしころのマイケルジョーダンも見てました。(NBAは、次期が高校生もかぶってます。)

 なぜこんな時間かというと、当時の人気スポーツは、野球、サッカー、相撲だけ。

 今じゃ、田臥選手や八村選手など日本人も少ないですが、NBAで、活躍しはじめていますね。

 Jリーグもない時代、他のスポーツは、あまりテレビでは、やっていなかったようなきがします。 でも、ワールドカップやヨーロッパサッカーなども見た記憶が少し残っています。

 中3になった時に、はじめてNFLを見ました。 こちらも、日テレで深夜放送。 兄の影響で、アメリカでは、アメフトがスポーツで1番人気があるんだぜ。 と 教わり見始めたが、ルールがよくわからず、??? でしたが、アメリカのカラフルな色のチームや雰囲気になんか、楽しさを感じてました。

見ていくうちに、魅力がわかってきて、はまりました。

 私は、みんなが、見ているメインストリームも好きなのですが、みんなが見ていない、レアものが好きだたのかも。

メジャーリーグは、放映されていなかったのか、知らなかったのか? 見た記憶はまったくありません。

 もう一つ、私が影響を与えているのが、映画です。ロッキー4をはじめ、兄が情報を仕入れてきたり、当時はテレビで、水曜ロードショウ、水野晴夫氏、木曜洋画劇場、淀川氏 さよなら。さよなら。 で有名でした。 水曜ロードショウがのちに、金曜日に移動して、日曜日もしていたような。

 記憶が定かではありませんが、洋画をTVで、よくしていました。

 

高校生

 中学校で、好きだった英語が、嫌いになりました。readingは、英語が長くなるし、グラマーは、文字が小さくて、細かくなり、訳がわからなくなりました。 readingの教科書はBig Benイギリスの話だったような。

単語も多くなるし。 グラマーの本は、ぶ厚く、嫌になることばかり、そんな中で、Blight sideは、都立高校で初めて、英会話のクラスが導入されました。東京にアメリカ空軍横田基地があるのですが、そこから、派遣されてきた、英語の先生でした。今でも名前を覚えています。マーゲン先生でした。 高校1年生だけ。2年生、3年生は無し。

 しかし、今まで、英会話なんかしてことがなかったので、すぐにおちこぼれになりました。 なんせ、聞き取りがまったくできませんでした。

 英語が苦痛で嫌でした。 中学の時は、あんなに、好きだったのに。。。

 でも、聞き取りができないのは、私だけでなく、英語の先生も時々あまり、わかって無い感がありました。

 英語の先生もわからないのに、私がわかるわけない。 半ば、あきらめモードの中、ある日、なんと、廊下で、女子バスケ部の友達のあすかちゃんが、マーゲン先生と話しているじゃないですか???

 その子にどこで習ってるのかな? 大手の英会話(NOVA)とか通っているのかな? (当時すごい人気があった。)

 うちは、お金ないし、絶対無理だよな~~。 と 思っていた。 

 私の友達に聞いてみると、英会話カフェに通っている。 なにそれ?

 その友達がいっしょに行ってくれることになった。

 まず席についたら、コーヒーかコーラかスプライトの3種類の飲み物を選ぶ。

 コーヒーplease。

 私は、だじだじ。

 大きなまるいテーブルの真ん中に大きな白人のアメリカ人がいて、その周りに日本人がかこっている。たまに簡単な質問を振ってくれるが、ほぼわからない。確か1時間半か2時間ぐらいだった。

 喋れなかったけど、緊張しまくりだったけど、英会話の環境に入れたのが私にとっては、居心地の良い場所であった。

 それから1人でたまに通うようになる。

そして

衝撃だった出来事が高校2年の冬におきる。 それはあすかちゃんが、マーゲン先生の家に遊びに行かない? との誘いを受けた。

 私のベストフレンドとあすかちゃんの友達と4人でマーゲン先生の家にクリスマスパーティーに行くことに。

 マーゲン先生は横田米軍基地の中。 一般の人は入れない場所。 ゲートで電話をしてエスコートしてもらうシステム

 基地の中はアメリカそのもの。 Each streetに 名前がついていて クリスマスカードのでっかい看板が飾ってあったり、

 映画で見てきた映像が目の前に広がった。 マーゲン先生と英語で話した記憶はなく、マーゲン先生の家が薄暗かったのと、街並みが私の脳みそにタトゥーされた。

 

 

 

 

  

 

 

 

 to be continued